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2024年06月03日

三方原ウォーク「幕末から太平洋戦争の頃」 報告

三方原ウォーク 三方原の認定文化財巡り を開催しました。
6月1日(土)25人の参加者とスタッフ5名、「掩体壕」「お立ち台」「馬頭観音」「道標」「中道の一部」を巡りました。
【掩体壕の外観】
三方原ウォーク「幕末から太平洋戦争の頃」 報告
(画像をクリックすると大きな画面でご覧いただけます)
【掩体壕の内部を見る】
三方原ウォーク「幕末から太平洋戦争の頃」 報告
「掩体壕」は旧陸軍が対爆撃用に建設した物と言われている。コンクリート製で経10m、高さ3m、今は、倉庫として使用されて外観が残っている。「三方原近辺に幾つかあった」と当時を知る方たちから伺いましたが、今は、今日見学した掩体壕一基だけのようです。
【お立ち台(旧陸軍三方原爆撃演習場視察築山)】
三方原ウォーク「幕末から太平洋戦争の頃」 報告
爆撃演習は「監的」と呼ばれた観測所から観測していたが、将校などが視察する場合は築山と言われる「お立ち台」から視察した。豊岡小学校南側の道は爆撃場の視察に訪れる将校たちの通る道の意味から「将軍道」と言われた。「監的」は放課後児童会の駐車場の場所に建っていた。
【馬頭観音】
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都田村巡視の役人の馬が急死し、供養のために建てられた。今でも「百園」の人たちが供養している。
【道標(東三方神社内】
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「赤松」「遥拝所鳥居」「道標」が道標となっていた。「右 金指」「左 気賀」など今も判読できる文字が彫られていた。
【奥山方広寺遥拝所(赤松の鳥居】
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内野方面から坂を上り、赤松の鳥居で方広寺に向かって祈った場所。この付近にも「赤松の監的」があった。




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